大丈夫

「大丈夫ですか?」

誰かが困っているシチュエーションに遭遇したらこの言葉をかけたくなるだろう。ここで、声を掛けられる側に立って考えてみよう。「大丈夫ですか?」と声を掛けられるとついとっさに「大丈夫です」と答えたくなってしまうのではないだろうか。日本で生活している限り周知の事実ではあるが、日本人は事を荒立てたり、目立つことを避ける習性があると思う。だからそう答えてしまう。答えてしまったら最後、声をかける側はこれ以上深入りしても迷惑だと勘違いしてその場を立ち去ってしまうだろう。

そもそも、「大丈夫ですか?」という質問には「大丈夫です」という返答を求めるという暗黙の同調圧力が働いてるようにも見える。声をかける側は「大丈夫です」という返答を期待しているようにも感じる。一種の決まり文句、一連の流れとして今まで使ってきたことにより、声を掛けられる側は何か問題が発生しても要望を答えづらくなってしまうのではないだろうか。

あまり良い解決策は思いつかなかったが、私なりに考えてみた。「なにかお手伝いできることはありませんか?」という言葉を投げかけるのはどうだろうか。これでも相手に「大丈夫です」と答えられそうだが、それでも「大丈夫ですか?」よりは自分の要望を相手に伝えやすいと思う。

一年前、一人でゴッホの作品を美術館で見てきたことがある。絵については何も分からない。何も知らないし、たいして歴史に興味もないけど、絵を見るのは好きだったから何気なく見に行った。ゴッホの絵はやはり上手だった。技術的な評価を求めるなら他のブログを当たってくれと思う。

ゴッホは1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれた。アムステルダムで神学部の受験に滑った後、弟テオドルス(通称テオ)の援助を受けながら画家を続けた。オランダ時代には、貧しい農民の生活を描いた暗い色調の絵が多かったという。     

1886年パリに移り住み、ポールゴーギャンとの共同生活を始めたが、二人の関係は行き詰まり共同生活は破綻。以後、発作に苦しみながらアルルの病院への入退院を繰り返した。発作の合間にも彼は画作を続けたが、ついには銃で自らを撃ち、死亡した。

そんな人が描いた絵が、私が見に行った展覧会で展示されていた。ひまわりや夜のカフェテラスタンギー爺さんもあった。名前を知らない作品もあった。ぴかぴかに磨かれた壁はガラスみたいに透き通っていて、作品が際立って見えた。

その日はそれだけで帰った。帰りの新幹線の中、タブレットゴッホについて調べていると衝撃の事実を知った。生前、彼の売れた絵は一枚だけだったという。昔は社会に見向きもされずに、価値がないとレッテルを貼られた絵が、今では社会的に認められて美術館で飾られているのだ。ゴッホは売れもしない絵を愚直なまでにたくさん書いただけなのだろうか、パリではプロと認められず程度の低い素人画家だったのだろうか。

 

今の社会に通じるものがあると思う。人は自分の目と耳で聞いたものを信じず、日常的な判断を社会での一般的な判断に委ねている。みんながこれを買っているから私もこれを買おう。みんながこの曲を聴いているから私もこの曲を聴こう。みんなが喋っているから私もあのグループに属さなきゃ。この人生の道には足跡が多いから安泰だろう。噂や伝聞のみを気軽に信じる。数えきれない。確かに社会的に認められているものには社会が保証する限り一定の価値があるだろう。しかし、社会に委ねている状態では自分の判断力は育たない。自分の判断力が社会の一部にとって代わる。私にとって、それは死ぬ事と同じだと思った。では、今までの自分の人生を振り返ってみよう。自分の判断で何かしたことをぱっと思いつけるか。思いついたとしても、それは自分の判断でやったと言い切れるのか。私は自信をもって言い切れることが少なかった。

私はこれから先、生前ゴッホの絵を買ったような人になりたい。

 

電車

改札を通る。電車に乗る。椅子に座る。周りをちらっと見渡す。乗車率は半分ほど。スーツを着ている人もいれば、JKらしきグループ、おばあちゃんもいる。様々な人がいる。

電車にはたいてい一人で乗っているのだが、乗っている間は何とも中途半端な時間だ。あらかじめ予定していた時は、本なりなんなり持ち込んでそれで時間をつぶすが、何も持ち込んでいないときには誰にも見られている訳ではないのに目のやり場に困る。じっと誰かを見つめる勇気もないし、隣のサラリーマンのツムツムを眺める気も起きない。かといって、きょろきょろと視線を泳がせているのも不自然でおかしい。というわけで、そんなときには半目にして眠っているふりをしながら頭の中で考え事をしている。自意識過剰だがこれも性格なので仕方がない。

電車に乗っている間は人生の休憩時間のようなものだ。所在なく自分の心に休業要請を出している。だからみんな無表情でぼんやりとした顔をしている。背景に溶け込むように。だけれど人というのは自分の物語を持っている。内容は分からない、些細なことしかないのかもしれない。様々な思いを乗せて人々を次の物語へと運んでいるわけだ。物語が一杯に詰まった乗り物。乗降していく物語を想像するのも楽しいし、理屈や難解な言い回しを考えずに、ただぼーっと人々を眺めるのも楽しい。現代社会の様々な断面に共通して存在する電車の中では、人間が生み出す様々な心があるわけだ。

 

少し前の梅雨真っ盛りの話になる。私の部屋からは家の玄関がちょうど正面に見えるのだが、雨が降ると猫が玄関前で雨宿りをしにくる。郵便の配達やお客さんが来た時はすぐそばの茂みに隠れるのだが、しばらくするとまた戻ってくる。私はそれを見ながら惰眠をむさぼっていた。

玄関先で休憩していた猫は黒猫だが、足袋を履いてるかのように足元だけ真っ白だ。猫がおしゃれに気を遣う時代になったのだ。ていうか私よりおしゃれじゃないか。

黒猫は幸せを運んでくると昔から言われている。黒猫はよく忌み嫌われるが、黒猫に逃げられるということは幸せに逃げられるということになる。黒猫を嫌っている人は幸せを嫌っていることになるのだろうか。一見黒く見えても幸せなものがたくさんあるのかもしれない。

 

三十分ほどして太陽が顔を出して猫は去って行った。夕立だったようだ、雨が降ったらあの猫はまた戻ってきてくれるのだろうか。

 

トイレ

そこそこ綺麗なビルのそこそこ綺麗なトイレ。お腹が痛くなり駆け込むと個室が八個並んでいた。「当たり!」と思い、空いてるトイレを探すと、いや全部しまってるやん。皆お腹が痛いのかな。しばらく待つことにした。

 

~二分後~

 

なんで誰も出てこないんだよ。全員死んでいるのかもしれないなと思いさらに待つことにした。

 

~二分後~

 

長すぎる。さすがに限界だし、もしかしたら空いてるのかもしれないと思い、ドアノブを順番に見ることにした。

やっぱり全部赤だ。なんでだよ!なんなんだよ!どんだけ貯めてたんだよ。きっとこのトイレの仕切りを透視できたら、皆ロダンの考える人みたいな状態なのだろう。

しばらくして考える人が一人出てきた

やっと一息つける...

廊下友達

廊下ですれ違う時に目くばせをしたり手を挙げて「よっ」と挨拶を交わすだけの友達がいる。

姉に話したところ、そういう関係の友達のことを「よっ友」ということが判明した。友達をタイプで分類するのもあれだが、最近「よっ友」がめんどくさくなってきた。

廊下ですれ違うたびに「よっ」って挨拶をしなきゃいけない。きっかけはもう忘れた。学校での接点も微妙に離れていておそらく交流を持つこともない。相手のことを何も知らない。

かといって突然この挨拶をやめるというのも、いかがなものか。これから友達以上恋人未満レベルの最高に微妙な関係を続けなければいけないのか。最高のよっ友になりそうだな。

そういえば名前もわからねえ

 

他人以上知人未満という存在はどうも扱いに困る。そんなこと言うのなら話しかけて仲良くすればいいじゃん。という声が聞こえてきそうだが、少なくとも私はがっついてるみたいで嫌だし。

 

いやコミュ症の言い訳じゃねえよ

違う 絶対違う

 

切り捨てようと思っても、廊下ですれ違うたびに気まずくなるだけだろう。教室も微妙に離れているせいか、一日に一回はすれ違ってしまう。まじでどうしよう。